労務経営ブログ

エンゲージメント向上施策の「構造設計」欠如——イベントではなく、未来に耐える仕組みをつくれ

華やかな施策の裏にある本質的な問い

HRプロが公開した「従業員エンゲージメント向上施策事例7選」には、キヤノン、TOPPANホールディングス、ライオン、パナソニック インダストリーなど、名だたる企業の取り組みが紹介されています。

管理職研修、VR・メタバース活用、副業制度、社内イベント、ミッション・ビジョン・バリューの策定——これらの施策は、確かに魅力的に見えます。多くの人事担当者が「うちでも取り入れたい」と感じるでしょう。

しかし、私はこの記事を読んで、大きな違和感を覚えました。

それは、「これらの施策は、組織の構造として機能しているのか?」という問いです。

イベントや研修は、確かに短期的には効果があります。参加者は刺激を受け、「良い取り組みだ」と感じるでしょう。しかし、それが離職率の低下や生産性の向上に本当につながっているのか。そして何より、担当者が変わっても、経営層が交代しても、制度として機能し続けるのか。

本記事では、社会保険労務士として人事制度設計に携わってきた経験から、エンゲージメント向上施策の本質的な課題と、未来に耐える構造設計の条件を解説します。

〇 エンゲージメント向上施策の「イベント化」という罠

・ キヤノンのCAMP:「開始から間もないため成果検証は今後」

記事で最初に紹介されているのは、キヤノンの「キヤノン・アクティブ・マネジメント・プログラム(CAMP)」です。

これは、管理職が車座で議論を行う部署単位・半日対面型の研修です。外部アセスメントを通じて管理職自身の特徴を把握し、部下一人ひとりの働きがいをどう高めるかを議論し、行動計画を策定するというものです。

一見すると、非常に丁寧な設計です。しかし、記事にはこう書かれています。

> 「開始から間もないため成果検証は今後となる」

つまり、まだ効果は分かっていないのです。

これは、キヤノンの取り組みを批判しているわけではありません。むしろ、多くのエンゲージメント向上施策が抱える構造的な課題を象徴しています。

それは、「施策を導入すること」が目的化し、「その施策が構造として機能しているか」の検証が後回しにされるという問題です。

・ TOPPANのVR研修:「社内からの反応は上々」だが、離職率は?

TOPPANホールディングスは、VR・メタバースを活用したオンライン研修を展開しています。ドローンを活用したVR映像、工場見学の疑似体験、メタバース空間での交流——非常に先進的な取り組みです。

記事では「社内からの反応は上々」とありますが、それが離職率の低下や生産性の向上につながったのかは明記されていません。

「反応が良い」というのは、短期的な満足度です。エンゲージメントの本質は、日常の中で「この組織にいる意味がある」と実感できるかどうかです。

VR研修が、その実感にどうつながるのか。参加者が「面白かった」で終わっていないか。この視点が欠けていると、施策は「イベント」で終わります。

・ パナソニックのMAKE HAPPY PROJECT:888件の企画、1万6,500人が参加——その後は?

パナソニック インダストリーの「MAKE HAPPY PROJECT」は、従業員主体の風土改革として注目されています。2021年には888件もの企画が実施され、延べ1万6,500人の社員が参加しました。

これは確かに、大きなムーブメントです。記事では「参加者から『職場への愛着が高まった』といった声も多く寄せられ、離職防止にも寄与している」とあります。

しかし、これは「声」であり、「データ」ではありません。実際の離職率はどう変化したのか。生産性は向上したのか。これらの定量的な成果が示されなければ、本当の効果は分かりません。

さらに重要な問いは、このムーブメントは、担当者が変わっても続くのかということです。

〇 属人性の罠:担当者が変われば、制度も消える

・ エンゲージメント施策の「持続性」という課題

多くのエンゲージメント向上施策は、熱心な担当者や理解ある経営層の存在が前提になっています。

– 担当者が情熱を持って推進している
– 経営トップが理解を示している
– 現場の管理職が協力的である

これらの条件が揃っているとき、施策は機能します。しかし、担当者が異動したら?経営層が交代したら?協力的だった管理職が退職したら?

施策は続くでしょうか。

私は社会保険労務士として、多くの企業を見てきました。その経験から断言できるのは、人の善意や能力に依存した制度は、長期的に必ず破綻するということです。

・ 「人に依存する施策」と「構造として機能する施策」の違い

エンゲージメント向上施策には、大きく2つのタイプがあります。

1. 人に依存する施策

– 担当者の熱意で動いている
– 経営層の理解が前提
– 現場の協力が不可欠

このタイプの施策は、関係者が変われば機能しなくなります。

2. 構造として機能する施策

– 誰が担当しても、同じように運用できる
– 経営層が交代しても、制度は継続する
– 現場の協力がなくても、最低限は機能する

未来に耐えるのは、後者です。

問題は、多くの企業が前者のタイプの施策を「成功事例」として導入してしまうことです。

〇 LIXILの「Employee Listening」に学ぶ構造設計の本質

・ 「声を聞く」だけでは意味がない

記事の中で、私が注目したのはLIXILの「Employee Listening」戦略です。

これは、従業員の声に真摯に耳を傾け、施策に反映させる取り組みです。従業員意識調査「LIXIL Voice」を実施し、その結果をもとにPurpose(存在意義)の策定、D&I推進、キャリア開発支援、管理職育成プログラムなどを展開しています。

その結果、2025年3月期の「LIXIL Voice」では、エンゲージメント72%、インクルージョン71%、ウェルビーイング77%と高い数値を記録しています。

重要なのは、「声を聞くこと」ではなく、「聞いた声を、どう構造として反映させるか」です。

・ サーベイからアクションへ:構造化のプロセス

多くの企業が、エンゲージメントサーベイを実施しています。しかし、その結果を「報告書」として共有するだけで終わってしまうケースが少なくありません。

LIXILの取り組みが優れているのは、サーベイ結果を具体的な施策に落とし込んでいる点です。

– Purpose(存在意義)の策定と浸透
– キャリア開発支援
– 管理職育成プログラム
– 多様で効率的な働き方を支援する制度拡充

これらは、一時的なイベントではなく、組織の構造として組み込まれた施策です。

・ 定量的な成果指標の設定

もう一つ重要なのは、LIXILが定量的な成果指標を公開している点です。

– エンゲージメント72%
– インクルージョン71%
– ウェルビーイング77%

これらの数値があることで、施策の効果を検証でき、継続的な改善が可能になります。

「参加者の反応が良かった」という定性的な評価だけでは、本当の効果は分かりません。定量的な指標を設定し、継続的にモニタリングすることが、構造設計の条件です。

〇 ライオンの副業制度:「人材開発施策」としての位置づけ

・ 副業を「福利厚生」ではなく「戦略」として捉える

ライオンの副業制度も、興味深い事例です。

同社は、副業を単なる福利厚生ではなく、人材開発施策として明確に位置づけています。副業を通じて社外の世界を知り、そこで得た経験や刺激を本業に還元することを目的としています。

さらに注目すべきは、社員の副業を認めるだけでなく、外部からの副業人材を受け入れている点です。

この双方向性が、組織に新しい風を吹き込んでいます。

・ 副業制度の「構造化」とは何か

多くの企業が副業を解禁していますが、その多くは「希望者は申請してください」という受動的な姿勢です。

ライオンが優れているのは、副業を組織戦略として能動的に設計している点です。

– なぜ副業を推進するのか(人材開発のため)
– どのような副業を推奨するのか(社外での学びが本業に還元されるもの)
– 副業人材の受け入れで何を得るのか(社内に不足しているスキルや経験)

これらが明確であるため、副業制度が単なる「制度」ではなく、組織の成長を支える構造として機能しています。

〇 能登町ふれあい公社:MVVと構造設計

・ 地方の小規模事業者が示す「構造設計」の本質

能登町ふれあい公社の事例も、見逃せません。

過疎化が進む石川県能登町で、「地域で一番働きたい会社」を目指すプロジェクトを立ち上げました。エンゲージメントサーベイを実施し、その結果を踏まえて中期事業計画を策定し、ミッション・ビジョン・バリュー(MVV)を明確化しました。

重要なのは、MVVを形骸化させないための施策です。

– 社内や施設内での掲示
– 評価制度との連動
– Instagramを通じた情報発信

これらにより、MVVを「お題目」ではなく、日常業務の判断基準として機能させる構造をつくっています。

・ 小規模事業者だからこそできる構造設計

大企業の施策は、確かに華やかです。しかし、リソースが豊富だからこそ実現できる側面もあります。

能登町ふれあい公社のような小規模事業者の事例が重要なのは、限られたリソースの中で、構造設計の本質を体現しているからです。

– サーベイで現状を把握する
– MVVで方向性を明確にする
– 評価制度に連動させて、行動を促す
– 定期的に検証し、改善する

この一連のプロセスは、企業規模に関係なく実践できる「構造設計の基本」です。

〇 Salesforceの「1-1-1モデル」:社会貢献とエンゲージメントの両立

・ 創業時からの「仕組み」としての社会貢献

Salesforceの「1-1-1モデル」は、株式の1%、就業時間の1%、製品の1%を社会に還元する仕組みです。

これが優れているのは、創業時から組織の構造として組み込まれている点です。

多くの企業が「CSR活動」として社会貢献を行いますが、それは往々にして「余裕があるときに行うもの」です。経営が厳しくなれば、真っ先に削減される対象になります。

しかし、Salesforceの1-1-1モデルは、組織のDNAとして埋め込まれた構造です。経営状況に関係なく、継続されます。

・ 社会的意義への参画が生むエンゲージメント

従業員は、毎年7日間のボランティア活動に参加できます。これにより、社会的意義の高い活動に参画し、自社の存在価値を実感できます。

エンゲージメントの本質は、「この組織にいることが、社会にとって意味がある」と実感できることです。

Salesforceの取り組みは、その実感を「イベント」ではなく「構造」として提供しています。

〇 未来に耐えるエンゲージメント施策の3つの条件

ここまで見てきた事例から、未来に耐えるエンゲージメント施策の条件をまとめます。

条件1:明確な基準と判断枠組み

エンゲージメント向上施策には、明確な基準が必要です。

– 何が評価されるのか
– どのような行動が報われるのか
– キャリアパスはどう設計されているのか

これらが曖昧なままでは、従業員は「何をすればいいのか分からない」と感じます。

LIXILの「Employee Listening」やライオンの副業制度が機能しているのは、これらの基準が明確だからです。

条件2:属人性の排除

施策は、特定の人に依存してはいけません。

– 担当者が変わっても、制度は機能するか
– 経営層が交代しても、継続できるか
– 協力的な管理職がいなくても、最低限は回るか

これらの問いに答えられない施策は、一時的な効果しか生みません。

Salesforceの1-1-1モデルや、能登町ふれあい公社のMVVと評価制度の連動は、属人性を排除した構造設計の好例です。

条件3:定量的な成果指標と継続的な検証

エンゲージメント施策の効果は、定量的に測定される必要があります。

– エンゲージメントスコアは向上したか
– 離職率は低下したか
– 生産性は上がったか

「参加者の反応が良かった」という定性的な評価だけでは、本当の効果は分かりません。

LIXILが公開している数値(エンゲージメント72%、インクルージョン71%、ウェルビーイング77%)は、継続的な検証を可能にする重要な指標です。

〇 エンゲージメント向上の本質:イベントではなく、構造をつくれ

・ 華やかな施策の誘惑

VR研修、メタバース活用、社内イベント——これらの施策は、確かに魅力的です。人事担当者としては、「うちでも取り入れたい」と感じるでしょう。

しかし、重要な問いは、**「その施策は、組織の構造として機能するのか?」**です。

イベントは、短期的には効果があります。しかし、イベントが終われば、日常に戻ります。エンゲージメントの本質は、日常の中で「この組織にいる意味がある」と実感できるかどうかです。

・ 構造設計こそが、専門家の仕事

私は社会保険労務士として、多くの企業の人事制度を見てきました。その経験から確信しているのは、エンゲージメント向上の本質は、組織の構造を設計することだということです。

– 評価制度は公平か
– キャリアパスは明確か
– 上司の力量に依存していないか
– 誰もが同じ情報にアクセスできるか
– 従業員の声が、構造として反映されているか

これらの構造的な問いに答えられない限り、どんなに華やかな施策を導入しても、エンゲージメントは一時的にしか上がりません。

・ 短期的な称賛ではなく、長期的な機能を

人事の仕事は、短期的な称賛を得ることではありません。それは、長期的に機能する構造をつくることです。

– 今の従業員だけでなく、5年後の従業員も納得できる制度か
– 今の経営層だけでなく、次の経営層も継続できる仕組みか
– 今の担当者だけでなく、次の担当者も運用できる構造か

これらの問いに答えられる制度が、未来に耐える制度です。

〇嫌われる覚悟を持って、構造を守れ

エンゲージメント向上施策を導入すると、短期的には称賛されます。「新しい取り組みだ」「先進的だ」と評価されるでしょう。

しかし、本当に問われるのは、その後です。

施策が終わった後、組織に何が残るのか。従業員の行動は変わったのか。離職率は下がったのか。生産性は上がったのか。

これらの問いに答えられない施策は、どんなに華やかでも、一過性で終わります。

人事の専門家に求められるのは、華やかな施策を導入することではなく、地味でも、未来に耐える構造を設計することです。

それは、時に嫌われる仕事です。「面倒くさい」「堅苦しい」と言われるかもしれません。しかし、組織を長期的に守るためには、その覚悟が必要です。

短期的な称賛より、長期的に機能する構造をつくること。嫌われることを恐れず、組織を守る側に立つこと。結果責任を引き受ける覚悟を持つこと。

それが、専門家としての責任であり、私が大切にしている姿勢です。

参考記事
HRプロ「従業員エンゲージメントを向上させる施策事例7選!キヤノン・TOPPAN・ライオンなどの取り組みを紹介」
https://www.hrpro.co.jp/series_detail.php?t_no=4557

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